情熱夜話【IOL度数計算の歴史】₋書き起こし前編

視能訓練士さんの多くが業務の一つとして白内障術前検査を担当されています。

みるみる特別顧問近藤義之先生は、白内障手術執刀歴40年の歴戦サージャンです。今回は若手視能訓練士や学生の方々に、今に至る術前検査(IOL度数計算)の歴史についてわかりやすくトークしていただきました。音声配信でお聴きいただるほか、書き起こし記事でもお読みいただけます。(前編)

目次

視能訓練士のための情熱夜話 前トーク

歴戦のパイロット

みるみるプロジェクトの鈴木です。視能訓練士の平良です。今日はわれらが特別顧問近藤義之先生の登場です。

近藤)眼科専門医の近藤でございます。みるみるプロジェクトに参加させていただいて大変光栄に思っております。

鈴木)ありがとうございます。 先生にはご負担ばかりおかけしています。

平良)ちょうど昨年2022年博多のイルミネーション、一緒に先生と写真撮りながら、また今年もというかその前にも何回かお会いしているんですけど、こうやってお迎えできることがとても嬉しいですね。

近藤)月1回福岡に手術をさせていただきに来て20年近くになります。

近藤)水晶体全摘出 ICCEの時代から。ICCEもピンセットで水晶体をつまんで取り出す時代があって、それは見たことはある。 僕の時はクライオ冷凍凝固法といって水晶体を凍らした状態で、ピンセットつまんだのと同じでズルズルと出すという時期から手術をしています。

鈴木)実は私はクライオで取るところを見たことがなくて、あれってサクッと取れるものなんですか?

近藤)水晶体チン氏帯という細い糸が沢山あって、それで水晶体を釣っているような状態になっているんですけど、このチン氏帯は結構強いんですね。 全摘出の時は、水晶体の袋(水晶体嚢)を破らないようにするために、酵素剤を使ってチン氏帯を溶かして弱めて、それでグリグリと取れるんです。そうすると水晶体嚢が破れずにスポッと取れる。ゾノリジンという薬だったんですけどね。

進化のターニングポイント

鈴木)白内障手術が一番進化したのはいつ頃ですか? 90年代ですか?

近藤)やっぱり小切開・極小切開が始まった時かな。その時が格段に変化しましたね。その時の切開創はだいたい3mm切開だったんですけど、その3mm切開から眼内レンズが入れられるようになって。本格的に小切開無縫合という時代が来て、そこでまさに段違いに変化しましたね。

それまでは6mm、眼内レンズの幅の分だけ切開を広げて眼内レンズを入れる時代だったので、切開を広げた段階で乱視が発生します。倒乱視化したりとか、(縫合の)糸締めすぎて直乱視を強く作っちゃったりとかあった時代なので、その縫合をしなくて済むというのがすごく大きな出来事でした。

平良)私もその時代、なんか衝撃的な。あっ縫合しなくて良いんだ!って驚きがありました。

近藤)「縫い忘れてませんから、安心してください」というね(笑)

人(眼科医)によっては、超音波水晶体乳化吸引術(PEA)がそこで革命的だったと言う方もいらっしゃると思います。

鈴木)例えば粘弾性物質、レンズ自体の進化とかナイフとか、技術的なものだけじゃなくて器具器械なものも進化して、全てのテクノロジーが上がってきて成り立っているような感じですよね。

近藤)現在の白内障手術は本当にそうですね。いま最先端の白内障手術、すごく流行ってはいないんですけれども、究極の白内障手術として、FLACS(フラックス) フェムトセカンドレーザーという特殊なレーザーで、角膜を切開したり、水晶体を切開したり、そういうような技術があるんですけれど…これはかなり究極な時代に来ています。

鈴木)先生のように職人気質で、ずっと自分の指先を駆使して手術をこだわってやってきて、ああいう器械が出たときに、”なんじゃこりゃふざけんな”とか反感はなかったですか?

近藤)手でできることなのになんで数千万円の器械を入れてやらなきゃいけないのかという抵抗感はありました。 だけど実際に導入してみて使ってみて、やっぱりこれはすごいなと。要するに、5.25mmの前嚢切開とコンピューターに入れれば、それ通りに切ってくれる。それができていれば、水晶体乳化吸引術の一番トラブルを起こしやすいところは完璧にクリアできちゃう。

ただ、それだけの費用をかけてそういう前嚢切開の完璧さを求めるかどうか、日本の場合は保険診療というベースがあるので…海外みたいに自由診療みたいに価格が決められるのだったら、松竹梅、松はもうフェムトセカンドですよというふうに言えるけども、その辺が日本の場合は保険制度との絡みであまり普及していないというのはありますね。

あれ(フェムトセカンドレーザー)があれば、かなりド下手な人でも手術できます(笑)

平良)先生が今まで積み重ねて来られた歴戦術者だからこそのご意見ですよね。

術者教育と時代

近藤)いま研修を終えて手術されている先生は、まず水晶体全摘出を経験したことがないし、硝子体出す経験も少ない。切開広げたら縫えない。そういうふうな感じで時代が変わっちゃった。最初から超音波乳化吸引術を学ぶわけで。

それに対し僕らの頃は最初に水晶体全摘出の準備に切開からやって、それがスポンと取れるようになったら次にステップアップして超音波やって良いよ、という順で学んだわけです。

超音波乳化吸引術から学ぶ事がスタンダードになって、じゃあ破嚢して…どうとか、水晶体が硝子体の中に落ちちゃったら…どうというのが、今度はまた合併症の世界の話で、ごくレアケースとしてしか体験できなくなっちゃった。

どっちがいいか?というのはあります。

今の進化した器械を使ってトラブル少なく手術できるんだから、最初から超音波でやって習熟すればいいんじゃない?もう縫う必要ないから縫合も下手でもいいんじゃない、という考えもあると思う。

ただ、いざ何かトラブルが起きたときに対応できるかできないかを考えると、やはり今度は正常じゃないアノマリーの状態に対しての勉強というのをできている人とできていない人で、トータルの力量が変わってくると思います。

鈴木)ありがとうございます。 例えば紙カルテの時代から一生懸命積み重ねた人は、電子カルテが止まってもメモ書きでしのげる。これは別に医療界だけじゃないと思うんですよ。先生のお話を聞いていると、空軍パイロットが思い浮かぶんです。プロペラ機のなんなら自分で整備しなきゃいけないような時代のパイロットと、現代の分業制が進んだジェット戦闘機を乗りこなしているというのと、どっちが上とかというよりも、トラブルシューティング力が違うんじゃないかと、私はずっと感じているんです。あらためていかがですか?

パイロットと振るい分け

近藤)航空自衛隊のパイロットも最初はプロペラ機の練習3から入ります。それで経験を積んでいって最終的にジェット戦闘機パイロットになるわけですね。パイロットの場合もし何か事故が起きれば、ジェット機が落ちたら何十億が消えてしまいますし命も失われるので、それをやっぱりプロペラ機から練習し体験していくというステップをやって、それぞれの段階で「プロペラ機は操縦できるけど、ちょっと君の場合ジェット戦闘機は無理ね」と振るい分けができてくる。

航空自衛隊T-7初等練習機

僕は眼の手術のサージャンに関しても、そういう振るい分けをしていっていいんじゃないかなと思います。 教育機関というか、教育病院とかも。 みんながみんな白内障手術をできるようになる必要はないと思うし、手術を嫌いな人もいたりするんですよね。 そういう人も必修科目みたいな感じで、無理矢理手術をさせられて、トラブルを起こしちゃうんだったら、本当に適性のある才能のある人間をどんどん伸ばしていく。そういう教育課程の中で適性のない方は、ちょっと違う方面の手術に行ってもらうとか、違う分野の治療に行ってもらうとか、そういう風な育成の分業があってもいいんじゃないかなと思います。

鈴木)サラリーマンも視能訓練士も誰でもそうだと思うんですけど、本当、得手不得手ってやっぱりありますからね。克服できる不得手でもあるけど、克服できない適性ってありそうですよね。

近藤)最終的には患者さんのためですからね。

鈴木)早速盛り上がってまいりました、このトークですけども、これから近藤先生がピンチに陥った時シリーズとか、後世に伝えたいこととか、いろいろ楽しみにしていますので、これからも続けていきたいなと思っております。

近藤)わかりました。ノーギャラで頑張ります(笑)

鈴木)ありがとうございます。 ご視聴の方もぜひ気に入っていただけましたら、引き続きこのシリーズよろしくお願いします。みるみるの鈴木でした。平良でした。

情熱夜話①₋入局当時の白内障手術

度数をどう決めるか

近藤)前回に引き続き、白内障まわりの話をさせていただこうと思っております。
鈴木)ありがとうございます。先生たいへん失礼ですけれども眼科医になって何年…
近藤)えーと、10年。

鈴木)10年…ちょっと合わないですね(笑)

近藤)眼科医になってから…約40年か。1982年の入局なので。
鈴木)2023年でちょうど41年ですね。先生、今日のテーマをお願いします。
近藤)前回、白内障手術のちょっと触りをお話させていただいたので。今の白内障手術に大切な眼内レンズ(IOL)。その眼内レンズの変遷などの話をする前に…眼内レンズの度数ってありますよね。度数。眼鏡の度数があるように、あの度数をどうやって決めてきたかと

そういうお話は視能訓練士の皆さんにも多少関係があるので興味を持って聞いてもらえるんじゃないかと思って、この話題を話してみようと思っております。

眼内レンズ挿入

鈴木)実は私が一番興味があるのは、先生が入局された頃の草創期ですね。その辺りからお話聞けますでしょうか。
近藤)私が1982年に入局した頃は、白内障手術といえば、水晶体全摘出。ICCE4。スポンと取っちゃうと。取っちゃいますから、眼内レンズ入りません。
鈴木)入らないんですよね。
近藤)当時、眼内レンズが開発されてましたけど、術式が全摘出だとなかなか固定しようがない。眼内に落っこちちゃうので、とりあえず水晶体全部スポッと取って、眼鏡コンタクトで治しましょうという時代でした。

杏林大学医局時代の近藤先生

その翌年からですね、私、医局の出張で大分県立病院というところで修行して来いということで出張しまして、約1年間かな、手術をそこでさせていただいたんですけど、その時ICCEからECCE5に移行。ECCEになって少し眼内レンズが使われだした時期でした。
鈴木)先生、学生さんのためにそのECCEの内容についてちょっと解説を。
近藤)はい。ICCE水晶体全摘術は水晶体全部取ってしまいます。取ってしまうと眼内レンズを入れる場所が、置く場所がなくなってしまう。で、水晶体嚢外摘出と言いますけどECCEで行った場合は水晶体の皮が1枚残りますので、そこに眼内レンズを置いてやる。それができるようになった時代です。ECCEが行えるようになってから、眼内レンズを日本でも使えるようになりました。
鈴木)それを先生がご経験なさったのが、なんとこの九州ということなんですね。当時東京から大分って…ちょっとこれ寄り道しちゃいますけど、だいぶお寂しかったじゃないですか。
近藤)寂しかったですね。笑っていいとも!が映らなかったから。
鈴木)そうでした!大分は民放が2局しかないとか(笑)そういう時代でしたよね。

Aモード一択の時代

近藤)その当時あまり僕も詳しく覚えてないんですが、Aモードで眼軸長を測ってました。その測ったデータを計算式に入れて、先輩の先生がなんか度数を決めてた。そういう魔法を見るような感じでなんか決めてたなといった印象です。
鈴木)近藤先生ご自身が計算式に細かく関わっていたわけではない?
近藤)ないです。見よう見真似で、決まったレンズを出してもらって入れていました。
鈴木)当時の計算式ってどうなんですかね。
近藤)SRKとかですかね。SRKⅡじゃなくて。
鈴木)どんなイメージですかね、今でいうと。
近藤)パイロットのイメージで言うと、今がジェット戦闘機なら…ライト兄弟の複葉プロペラ機に乗って、パタパタパタって飛んでいるかわいいイメージですね。方向とかはコンパスを頼りに目視飛行。たぶんこっちが北だぞ!みたいな飛行イメージに近いかな。たぶんこのぐらいの度数入れるときはいいんじゃないかと。そんな程度でした。


鈴木)当時それでもやっぱり見えるというか、混濁した水晶体が無くなりクリアにはなるわけなので。
近藤)そうです。水晶体を取って眼内レンズ入れなければ、厚い牛乳瓶の底みたいな強い+のメガネをかけてもらうか、コンタクトレンズをつけてもらうかしかなったわけです。高齢者にコンタクトレンズはなかなか難しかったので、世の中、牛乳瓶の底のおじいちゃんおばあちゃんがいっぱい溢れた時代でした。

それが医局から命令が来まして。僕は大分県、フグ美味しいし何だったら大分で開業するかぐらい気に入ってたんですけど、次の出先は東京に戻ってこい。虎の門病院6に行けと言われました。

虎の門病院とPEA

鈴木)かの有名な虎の門病院に。
近藤)勉強して来いということで、当時の虎の門病院はもうすでにECCE手術がスタンダード、眼内レンズも導入されていました。そうこうしているうちに、僕が行った1年目のうちに超音波の水晶体乳化吸引術(PEA)が導入されました。
鈴木)ああ、ここでやっとPEAが登場するわけですね。
近藤)PEA+IOLね。そういうのを目の当たりにして、いやいやスゲェ時代になったなと思いましたね。

鈴木)やっぱり先生も驚きが。

近藤)はい。ただその頃もやっぱり眼軸長の測定はAモード

Aモード圧平誤差

鈴木)やっぱりAモード、検査者によって誤差があるとか…

近藤)そういった問題が当時からやはりありました。超音波プローブを角膜に当てますから、それを押し付けすぎちゃうと眼軸長に影響します。いわゆる圧平誤差ですね。

これがあったので、たぶんその時に見たんだと思うんですけど、超音波プローブ先端に小さな樹脂製の袋みたいなキャップがありまして、その中に水を注入した状態で水の入っている風船越しにAモードを測る。そういうものもありましたね。

鈴木)クッションのような役割なんですかね。それで圧平誤差を和らげるというイメージでしょうか。さて超音波乳化吸引術がここで出てきたということですね。
近藤)大人のもので修行させていただいて、包丁一本…じゃなくてハンドピース一本さらしに巻いて開業しました1993年。

手術を続けるために開業

鈴木)1993年八王子市で医療法人社団インフィニティメディカル近藤眼科をご開業。ちょっと寄り道ですけど、もともとお母様が眼科医で。
近藤)それ言うと話が長くなる(笑)話せば長い話なんですけど、要はその頃ちょっと母と一時決裂してまして。母のところを継ぐつもりで虎の門を辞めたんですけど、自力で開業してやる!と。
鈴木)まさかの。心温まるエピソードありがとうございます(笑)
近藤)ファミリーヒストリーです(笑)

鈴木)開業をJR西八王子駅前で。これが93年。先生は最初から白内障バリバリやっていくぞという想いで?

近藤)そうですね。やっぱり手術を続けたくて開業しましたから。なので開業時には超音波乳化吸引術の装置も大きい。顕微鏡も大きい。全部借り物でしたけど(笑)そこでやっぱりAモードの器械で測ってました。
鈴木)さて開業後の進化がまた半端ナイ!というお話は次回。ということで皆さん次回もお楽しみに。

情熱夜話②IOLマスター!

日帰りと着地リクエスト

鈴木)先生が独立開業されたのが1993年。

近藤)はい。白内障バリバリやるぞということで。当時の心境は、本当に小さいクリニックだったんですけど、当時全然普及してなかった白内障手術を日帰りで初めてやるという意気込みでした。白内障手術を日帰りでやるなんていうのは、もう狂気の沙汰!という時代でした。

鈴木)これは学生さんのためにもうちょっとなぞっておくと、当時は当然入院が当たり前という時代がまず一つ。 だいたい片眼1週間くらい入院ですよね。日帰りは多摩地区では特に初めてじゃないですかね。

近藤)八王子でお一人、水晶体全摘出で日帰り手術をして往診で患者さんを診るというスキームで手術をされていた先輩がいらっしゃったんですけども、虎の門病院でやっていたようなモダンな手術で、しかも日帰りでやるというのは八王子で初でした。PEA装置などびっしり揃えて、自前のオペ室を仕立ててスタートしました。

度数計算、その時はやっぱりAモードで計測をして、ケラトデータを入れて、レンズを決めました。

その時に、

遠くに合わせますか?近くに合わせますか?

というリクエストを聞くようにしました。

近視の患者さんはやっぱり手元が見える方が便利という方もいたし、遠視の方だったら遠くがより見えるようになった方がありがたいわけなので、それをうかがって。 だいたいエンメ、±ゼロに合わせるか、-3.00Dに合わせるかというような時代でした。それだけやっておけば患者さん満足度は上がる、そういう時代でした。

鈴木)ここから術後の着地度数にリクエストが意識されるようになったということですか。

近藤)そうですね。 ただその頃の大学病院では、もう遠くに合わせるのが当たり前。特別に、例えば片眼が近視で反対側がエンメに合わせるわけにはいかないから、その人は近視に合わせるというような程度の配慮しかなかったですね。

鈴木)そうなんですね。 そんな中で近藤眼科では術後リクエストを。

近藤)この時の度数計測ですが、Aモードで始めたんですけれども。そのうち世の中にIOLマスターという、カールツァイスがローンチした眼内レンズ度数計測装置が!IOLマスター500という器械、光学式バイオメトリーといって眼球の形をスキャンしちゃいましょうと。今のOCTの原理みたいなものを使って奥行きを測って、それに角膜の屈折力をデータを入れて、“このレンズを使ってください”と計算してくれる非常にありがたい器械でした。

IOLマスター500

近藤)あれいつ頃出たかな、ちょっと詳しく覚えてないですけど、鈴木さん覚えてます?

鈴木)おそらくなんですが、2002年か2003年あたりの国内発売と思います。私が眼科業界に入ったのは2001年だったんですけど、その翌年にとあるボリュームサージャンの先生のところで「IOLマスター予約したんだよ」というお言葉を妙に覚えてるんですよ。

近藤)そうなると、多分開業して10年くらい? に導入した感じだと思いますね。

鈴木)この初めてこの非接触で眼軸が測れるぞと、そういったものを見たときの感想は?

近藤)学会場で最初見たのですが、これは専門の技術者はいらんぞと。もう何だったら受付スタッフがちょっと来てボタン押してくれれば良いかなと(冗談だけど)そのくらい簡単に計測できて再現性が高い器械だと感動して早々に導入しました。 たぶん、最近視能訓練士になられた方とか、最近眼科医になられた方は、この非接触の光学式眼軸長計の方が当然スタンダードとして勉強されるんでしょうけど。Aモードをたっぷり経験してからこれを経験すると、すごいなって多分誰でも思うかなと。逆にこれから入っちゃうと、もうAモードに戻れないんじゃないかなと。

鈴木)私も業界に入ったさい眼科研修がありまして、1ヶ月くらい眼科で見学した時に、明室検査でAモード一生懸命されてたんですよね。 その時に、【〇〇様、顔を下げないでください】とか【目を開けてください】とか、そういう格闘を30分くらい見たような気がしまして。それから比べたら魔法みたいな器械ですね。

近藤)患者さんが頭を動かしたりしないように、Aモードでも精度を高めるための工夫として、患者さんを寝かして検査したりしてました。

700はナニが違う?

近藤)このIOLマスターの登場がやはり大きなポイントでした。進化は続きます。IOLマスター500を買ってしばらく使ってたんですけども、700というのが出ると。 500より200多いんだから(笑)ちょっといい器械だなと。開業してしばらく経ち資金的にも余裕ができてリースかければすぐ手に入る状況だったので、IOLマスター700に替えました。

替えた理由は、IOLマスター700だと角膜の形状屈折率を測ってくれるんです。いわゆるケラトメトリーも行うし、角膜後ろ側の面(角膜後面)まで計測して、角膜の全屈折率を測ってそれを式に導入するというのをやってくれるということが実はすごかった。 あとさらに…眼球の形状を二次元で、断面図を描写してくれるOCTが眼内レンズの度数を測ってくれる。 OCTというのは、眼底疾患の診断のための超高級な器械。そんな器械をただ眼軸長を測るために使う。なんとも贅沢だなぁと。

鈴木)本来のOCTを初見時の衝撃。私も忘れられなくて、地形(網膜)を上空からしか見れなかったのにその網膜の断面図が見れるという、「何じゃこりゃ⁉」と衝撃を受けたんですが、それが技術的に合流したというイメージでしょうか。

近藤)その技術を、ただ眼軸長を測る、正確さを求めるために使うという。なんちゅう贅沢な機械だなと。やっぱり眼内レンズの度数の精度も変わりました。

ちょうどそのあたりから、多焦点眼内レンズとか、トーリックレンズが出てきて。

要は…「レンズを正しく入れました」「正しい度数を入れました」、でもちょっと誤差が出ましたねとか、あるいは角膜の乱視が増えちゃったからちょっと見づらいですね、といったことが許されない。

白内障手術が屈折矯正手術であるという時代に入っていた時に、このIOL MASTER 700はすごく効力を発揮しました。

鈴木)IOL MASTER 500、700…カールツァイス一強ですね、この時代は。

近藤)もうその時代は完全にツァイス一強。もう他に眼軸長計測装置はないのか!というような時代。ところがそこに殴り込みをかけた会社がいました。

さて、この会社は一体どこでしょうか。 次回後編に続きます。

  1. 第6回みるみるセミナー特別講演【ベテラン眼科医が期待する視能訓練士のチカラ】2022.9.9  ↩︎
  2. FLACS(Femtosecond Laser Assisted Cataract Surgery) ↩︎
  3. 航空自衛隊は初等練習機としてT-7プロペラ機を採用している ↩︎
  4. ICCE水晶体嚢内摘出術 ↩︎
  5. ECCE水晶体嚢外摘出術 ↩︎
  6. 国家公務員共済組合連合会虎の門病院 ↩︎

近藤義之 PROFILE

1955年東京都生まれ。日本眼科学会認定眼科専門医/一般社団法人みるみるプロジェクト特別顧問/医療法人社団インフィニティメディカル前理事長。杏林大学卒業。虎の門病院眼科勤務を経て1993年八王子市で眼科診療所を開設。組織を拡大し医療法人インフィニティメディカルの下に4か所の診療所を経営していたが2020年に医療法人経営を後進に委譲して退職。日帰り白内障手術2万件以上の豊富な経験を持ちリタイア後もフリーランスの眼外科医を継続。毎月100例以上の白内障手術を執刀し続けている。趣味は眼科手術の研究と65歳から始めた乗馬。

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