SPECIALゲストコラム、北九州市でロービジョンケアにも熱心に取り組まれている視能訓練士三原健先生にお願いしました。
はじめまして、福岡県北九州市八幡西区の医生ケ丘眼科で視能訓練士をしています三原です。
視能訓練士として特筆するような実績はありませんが、ちょっとだけロービジョンケアの分野においては、皆さんにお話しできることがあるかなと思い、このコラムを書かせてもらっています。
私は、視能訓練士になって最初の就職先が大島眼科病院(福岡市博多区)でした。右も左もわからない私に、眼科で働くための基礎を叩きこんでいただいたのは、今でも大島眼科、そして検査部の諸先輩方のおかげだと思っています。
本田さんのコラムでもお名前が挙がっていました、山田敏夫部長(当時)にたくさんのことを教えていただきましたし、ロービジョンケアについて、学ぶ機会も多く与えてもらいました。
しかし当時の私は、ロービジョン勉強会に嫌々参加していたというのが本音です。自ら学ぼうとしなかったため、他では得られないような貴重な経験も全然身になっていませんでした。本当にもったいないことをしたと今でも思っています。
そして、30歳の頃に医生ケ丘眼科に転職しました。とはいっても、すんなり医生ケ丘眼科に就職したのではなく、当時は3つの眼科を日ごとに勤務していて、そのうちの1つの眼科に小倉北区にある川田眼科がありました。
そこで出会ったある緑内障患者さんとの出会いが、私をロービジョンの世界に引き込んでくれたのです。
出逢い~人生が変わったのはどちらか
その患者さん(以下Kさん)は、いわゆる癖のある患者さんで、言葉を濁さずに言うとスタッフから煙たがられていました。検査する度に
「検査しても治るわけやないのに、検査する必要あるん?」
「なんで視野の検査とかきついのにせんといけんの?」
など、口からでるのは不満ばかり。私もできれば避けたかったのですが、スタッフはここぞとばかりに「視能訓練士さんに検査してもらいましょう」と、私がいる日は私が毎回検査することになったのです。
ずっと検査をしていると、少しずつKさんとお話しをするようになりました。
ある時、
今どんな生活をしているのか、どんなことに困っているのかを勇気をだして聞いてみました。
患者さんは少し間をおいてゆっくり話し始めたのです。
1人暮らしで普段家にいて、家からでることはほとんどない
犬(盲導犬ではない)がいないと、外に出られない
病院までは道を覚えているから、なんとか来ることができる
ラジオを聴くだけで、他に生きがいなんかないよ
この言葉を聞いたとき、Kさんのことを全然わかっていなかった、ただやっかいな患者さんとしか思ってなかった自分が情けなくなりました。
Kさんは誰にも相談できず一人で苦しみをずっと抱えてきていたんです。なんとかしてあげたい、でもどうしてあげたらよいかわからない。
藁にもすがる思いで、以前勉強会でお会いした歩行訓練士の武田さんに電話をしました。
事情を聞いた武田さんからは「まかせとき」と一言。
見えるようになるわけやないから行っても意味ないと言い張るKさんを説得し、なんとか武田さんのいる福祉用具プラザに足を運んでもらいました。
そして数ケ月後、Kさんに会ってすぐに
「なんでもっと早く教えてくれんかったんか」
俺は怒っとるんやぞ、って笑顔で。Kさんの表情はとても明るく、よく見ると白杖を片手にもっていました。
そしてこう言ったのです。
「白状で歩行も自分でできるようになったし、今はパソコンを覚えるために頑張ってるよ」
そして
「生きがいが見つかったよ。本当にありがとう」
私は、視能訓練士をしていて、患者さんから人生が変わったと言っていただいたのは初めてでした。今でもその時のことは鮮明に覚えています。この言葉のおかげで自らロービジョンのことを強く学びたいと思うようになりました。
今は
「Kさんのおかげで私の人生がかわりました。ありがとうございます」
とお伝えしたいです。
忘れられない大粒の涙
Kさんとの出会いで、ロービジョンケアを学び始めた私は、少しづつ北九州での繋がりが増えてきました。繋がりのおかげでロービジョン関連のイベントに声をかけていただけるようになり、北九州で毎年開催されている福祉機器展にも、お手伝いとして初めて参加させてもらうこととなりました。
福祉機器展は、コロナ前ですが多いときには400人以上が来場される大きなイベントです。私はそこで「相談係」というポジションでお手伝いすることになりました。
多くの来場者は、福祉機器を見に来ているので、相談係なんてほとんどの人が通りすぎていきます。
そんなときに、ある一人の女性が相談係にやってきたのです。その方は私にこう言われました。
と大粒の涙を流しながら。
私は最初、「私の眼科に来てくれていたら、こんな思いをさせなかったのに」と悔しい気持ちになりました。
だけど、すぐにその考えは間違っていることに気が付きました。
その方はどこの眼科とか関係なく、《眼科に通院しているのに》と言われました。
これは、眼科からロービジョンになった方に、伝えるべき情報が伝えきれてない。そしてそれは、その方が通っていた眼科だけじゃなく、他の多くの眼科でも同じことが起こっているんじゃないか、そう考えるようになったのです。
「私の眼科にきてくれたらじゃなく、どこの眼科にいっても最低限の情報提供をできるようにしたい」
あの涙は、今でも忘れることができませんし、忘れてはいけないと思っています。
ロービジョンケアに対する壁
結論からいうと、この壁は思っている以上に高いなっていうのが正直な気持ちです。全国的にクイックロービジョンケアや、スマートサイトなど、ロービジョンケアを始めやすい仕組みができてきているのは事実です。しかしながら、ロービジョンケアに対する興味は、他の分野に比べて低いというのが現状です。
幸いなことに、ロービジョンケアに関する講演を、お話しする機会を少しづつ与えていただけるようになりました。また、SNSやブログなども活用しながら、情報発信するようになりました。しかし、情報発信だけでは、ロービジョンケアの壁を崩すには弱いです。
どうしたらもっと、ロービジョンケアに対する興味・そして「必要な情報を必要とされる患者さんに届けてあげること」を広めていけるか考えたときに、みるみるプロジェクトで紹介された本田さんのコラムに出会ったのです。本田さんはコラムの中で、中間型アウトリーチについての思いを書かれていました。一部抜粋すると
中間型アウトリーチは
患者さんが通いなれた病院(眼科)へ、専門職や販売店が訪問し、眼科内で直接患者様と対面し支援機器の説明・体験や制度の説明を行い、ロービジョンケアのお手伝いをさせていただくことで眼科側・患者様側双方の問題点や不安点を補う。
つまり、我々眼科側の負担と患者さん側の負担を、本田さんが訪問してくれることで軽減してくれているのです。
中間型 視能訓練士⁉
そして、ハッと気づいたのです、私も繋いでみようと。
中間型アウトリーチならぬ 中間型視能訓練士。
情報や体験を話すだけでなく、興味ある視能訓練士とロービジョンを始めるにあたって、繋がっておいた方がよい施設や人を繋いだらどうかと。
先日、福岡市で新しくロービジョンを始めたいという視能訓練士さんと一緒に、視覚障害者団体に一緒に訪問しました。来月には歩行訓練士さんへの訪問も一緒に行くことが決まっています。
私が間に入ることで、視能訓練士と福祉関連の敷居を下げ、繋げていく。
今はこの活動に力を入れ、医療と福祉の繋がりを広げていきたい、そう考えています。
最後に、私自身はロービジョンケアの専門的な知識があるわけではありません。遮光眼鏡や拡大鏡も、患者さんが少しでも見やすくなればという気持ちで合わせてます。
それでも、ロービジョンに関わるご依頼をいただけるのは、やはり「人との繋がりを大切にしている」からだと思っています。多くの人との繋がりが、私の道を作ってくれたのだと信じています。
このコラムを読んでくださっている、まだ出会えていない人といつか繋がれる日を楽しみにしています。
もし、ロービジョンに関する相談やお話しについてなどありましたら、みるみるプロジェクトを通じてでもよいのでご連絡下さい。
一緒にロービジョンケアの輪を広げていきましょう。
コメント
コメント一覧 (1件)
[…] 関連記事 三原健さん‐繋げるロービジョンケア-明日からできること SPECIALゲストコラム、北九州市でロービジョンケアにも熱心に取り組まれている視能訓練士三原 […]