私たちは、北部九州~下関エリア地域活性化のため、北九州の視能訓練士学科設立支援活動に取り組んでいます。

この活動を発案された、辰巳貞子先生(北九州市門司区/小児眼科医)のエッセイを掲載します。
※九州大学眼科同門会誌【同挙】第49号掲載稿を再構成しています
~北九州に視能訓練学科を~小児眼科医 辰巳貞子
1970年 大阪万博の頃

2025年4月より大阪・関西万博が開催されましたが、それと前後してテレビでは55年前のEXPO’70万国博1の様子も紹介されていました。


55年前の1970年(S45年)この年は 私の眼科医としての道を方向づけた年でもあります。
S42年(1967年)九州大学医学部を卒業した時は、2年前から起こったインターン廃止運動2真っ盛りでした。この年の卒業生8名はインターンをせずに、前年卒の4名と合わせて12名が一挙に眼科に入局したのです。
それまでの入局者は毎年5名以下だったそうで、医局の先生方は大変だったようです。
インターン制度下では、医学部卒業後の1年間 無免許・無給・無保険状態でいろんな科で研修したのち、国家試験を受けて医師となる流れでした。今では考えられないことです。
健康保険証がなくても、若いし病気らしいこともなかったし、もし病気したら大学病院が診てくれるだろうと思って気にしていませんでした。そして卒業した年の12月に長男を出産した時、産婦人科に入院させてもらい助教授が主治医になってくださり、ありがたいことに診療費は無料でした。
S43年(1971年)医師免許を取得後、眼科で研修しながらアルバイト(※当時ネーベンと呼ばれていた)出張した病院で、弱視や斜視のこどもが来た時、診方や治療法がわからず申し訳ない気持ちが募りました。

当時、九州大学眼科でその部門は学べませんでした。
❝何とかこどもの眼を治せるようになりたい❞と思っていたところ、東京にS40年(1965年)開設された国立小児病院(現 国立成育医療研究センター3)があることを知り、見学しました。
九州大学眼科学教室 生井 浩教授のご許可を得て、S45年10月より無給の研修医として受け入れていただきました。3才直前の息子を主人と母とお手伝いさんに託して、わずか半年足らずでしたが小児眼科を学ぶため上京しました。
それまで経験しなかった弱視斜視をはじめ未熟児網膜症や種々の先天異常を、植村 恭夫医長(のちの慶応義塾大学眼科教授/S37年初版〈弱視の診断と治療〉の著者)はじめ森実 秀子先生(森実ドットカード考案者)、田中 靖彦先生(のちの慶大助教授)、視能訓練士の方達に懇切丁寧にご指導いただいたことが、その後の私の診療の柱になったのです。




それに加えてラッキーだったのは、同年(S45年)に小児病院に付設された視能訓練学院1期生とともに弱視斜視の検査訓練法を学ぶことができたうえ、その1期生の中になんと北九州市小倉出身の女性が2人いたことでした。
それまで私自身、視能訓練士(=ORT*現在CO(Certified Orthoptist)と呼称される)という職種のあることすら知らなかったのに…。
北九州 小児診療立ち上げ
S46年春。
第1回視能訓練士国家試験に合格された2人の女性と北九州に戻り、小児眼科診療を始めようと公立病院と交渉しました。
当時、眼科勤務医は少ない時代。3~4か所の病院からお誘いを受けましたが、ORTは国家資格者になったとはいえ、公立病院にORTの常勤ポストはありませんでした。もちろん九大眼科にもなかったのです。
ORTさんなしでは小児診療はできないので、ORTさんを正規採用してくれる病院を探しました。北九州市立小倉病院(現北九州市立医療センター)では「国立にもないようなポストは作れない」4とのことで破談に。
そのあと新小倉病院(S40年創立の国家公務員共済組合連合会)の院長木村光雄先生(私が学生時代第2内科助教授で臨床講義を受けた)は、「必要な職種ならご一緒に採用しましょう」とありがたいお言葉をいただき、ORTともども正式採用していただきました。
S46年5月より、弱視斜視には新米の私とORTさんとで試行錯誤しながらこども達を治療してきました。1人のORTさんは新小倉病院で、1人は当時福岡県医師会館内にあった視聴覚研究所に勤務してもらい、私が週2回午後診療に行き、そのほかの日はORTさんが視能訓練をしてくれたのです。福岡市の子で手術が必要になった場合は、当時眼科部長として勤務されていた寿 尚義先生の病院に入院させていただき、ORTさんに助手をしてもらい手術をしました。
また、当時熊本大学で視能矯正部門を設立された筒井 純教授を植村先生からご紹介いただきました。ORTさんと熊本へ数回研修に行って、EOGやVEPなども学ばせていただき、熊大のORTさん3人5とも交流を持てるようになりました。
その後各地で視能訓練士養成校が増設され、ORTさんが増えました。
私は新小倉病院の後、国立小倉病院(現国立小倉医療センター)で2人、北九州市立総合療育センターで数人、S61年(1986年)に大里眼科クリニックを開業して以来 十数人のORTさんと共に診療してきました。
またこどもの手術には全身麻酔が欠かせません。麻酔科医や小児科医に大変お世話になりながら、傘寿を迎えたR5年3月までに4,500例余り、局麻下で1,000例余りの手術をしてきました。
こどもの診察には時間がかかるため診察終了が19時~21時になることもしばしば。ORTさん、ナースさんはじめスタッフ達もよくがんばってくれました。感謝感謝の気持ちでいっぱいです。

現代社会と両眼視機能
19世紀から20世紀初期にかけてヨーロッパで視能矯正学が築かれ、視能矯正に関する検査/治療法が開発されました。そして斜視や弱視の両眼視機能の検査訓練に携わる職種として「視能訓練士」が誕生します。
日本では、S30年代から視能矯正に関する海外の成書文献などで研究された先生達により弱視斜視診療が普及するにつれて、ORTの養成が必要となりました。日本弱視斜視学会の尽力で視能訓練士法が制定され、S46年に1回目の国試が実施されたのです。
それから53年経ったR6年現在、
4年制大学9校/短大1校/専門学校16校が存在しています。
免許取得者はR7年4月現在約21,000人ですが
女性が約85%を占め結婚出産育児などで離職される方も多いため臨床では10,000人余りの方が勤務されている現状です。

医療の進歩に続いて、高齢化社会の到来によりお年寄りの眼疾患も増え、コンピューターを内蔵した精密な検査器械も多く開発されるに伴い、これらを駆使して検査するのもORT さんの仕事です。
近年の生活スタイルのデジタル化により、こどものみならず大人の両眼視機能も危機的な状況にあります。
本来、視能矯正が専門だったORT の手が眼科全域に拡大し、どこの眼科医もORT の助けを必要としています。
北九州に養成校を!
福岡市に学校(※福岡国際医療福祉大学視能訓練学科)がありますが、少子化時代のせいか、ここ3~4年志望者が減っています。加えて北九州市から倉敷市までの間に養成校がありません。
そこで北九州市に養成校ができないものかと、2023年より『一般社団法人みるみるプロジェクト』と共に運動してまいりました。


この少子化時代に学校新設は難しいと重々承知の上で、いろんな方面の方にお願いしてまいりましたところ、理学療法士(PT)作業療法士(OT)言語療法士(ST)看護科など11部門を擁する専門学校の理事長さんが視能訓練科の新設を決断してくださいました。
2027年春の開講を目指し、これを学外から協力する《設立支援委員会》を立ち上げ会合を定期開催しています。多くの先生方からご意見を頂き今後の活動に向けて頑張っているところです。
署名活動をし始めてご署名をお願いした折に、一般の人に視能訓練士の職種がほとんど知られていないことがわかりました。
PT/OTの第1回国試はORT 国試の5年前(1966年)。多くの資格者が整形外科などで活動され一般に知られているのに、ORT はこんなにも知られてないとは!! これがORT 不足の一因かと、50年以上ORT さんと共に診療してきた私はとても反省させられました。
設立委員会の今後の課題は、Ⅰ開設費用(必要器械類に約1億円くらい)、Ⅱ学生募集、Ⅲ実習先確保、Ⅳ講師集め、Ⅴ待遇向上(給料アップ)など難題ばかりです。
これから寄付寄贈(お金はもちろん古くなった眼科器械etc)のお願い、ORT という職種のアピールに高校や中学に出向く、給与アップを国公立病院に働きかける…等々が必要です。

幸い、九大眼科園田康平教授には、設立支援委員会の特別賛同者としてご協力いただいておりますので、心強く思っています。
もうひとつの期待は、北九州に学生が増える→北九州で就職する→北九州市民として人口増加が望めるという点です。
北九州市長さんが人口流出対策として大学の増科、IT 企業の誘致など若者の雇用創出に積極的に取り組んでおられます。医療専門職の養成は雇用創出にも貢献できるのではと期待しています。
こどもの目の日
小児診療を始めて十年間くらい、入学前後の偏心固視弱視6の子が年に10名くらい来られ、中心固視にするための訓練を懸命にやりました。
H3年(1991年)3歳児健診に眼科項目が加わり普及するにつれて弱視や斜視の早期発見が進みました。治療して小学校入学までに視力が1.0に発達し、正常な両眼視機能を獲得できた症例もよく経験しました。

こども家庭庁の協力のもと日本眼科啓発会議が
[はぐくもう!6歳で視力1.0]をめざして
6月10日を【こどもの目の日】に制定しました。
50年あまり
『小学校入学までに視力1.0と正常な両眼視機能の獲得を』
と言い続けてきた私にとって
これこそやっと念願が叶った思いでした。

今後は3歳児健診のみならず、幼稚園や保育園での健診により弱視の早期発見に力を入れたいと思っていますが、それにはORTさんの力がもっともっと必要です。
ORT さんを増員してこども達が正常な両眼視機能を持てるよう、なんとしても頑張りたいと思っています。
※私にはCO の略語はなじみがないのでORT を使わせていただきました。
- EXPO’70 1970年3月~9月大阪開催 日本万国博覧会のこと。「人類の進歩と調和」をテーマに77ヵ国参加 来場者数6,721万人は当時の万博史上最多。太陽の塔(岡本太郎氏デザイン)や月の石(アメリカ館)などが有名。大阪府吹田市の万博跡地は 万博記念公園として整備されている。 ↩︎
- 昭和40年代、医学部卒業後の「無給・無資格」の旧インターン制度に対し、医学生らが撤廃を求めた運動。国試ボイコット等の闘争を経て昭和43年に廃止され、医師免許取得後に学ぶ現在の「臨床研修制度」の礎となる。日本医療史上の重要な転換点といわれている。 ↩︎
- 1965年設立、世田谷区太子堂にあった小児医療のナショナルセンター。難病治療や未熟児医療など日本の高度小児医療を牽引し「最後の砦」と称された。2002年に国立大蔵病院と統合、その機能と人材は現在の国立成育医療研究センターへ継承された。 ↩︎
- かつて国立病院職員は公務員であり「定員法」で総数が厳格に抑制された。増員不可能な現場は、法の枠外である「定員外職員」雇用を常態化させ、労働格差の温床となった。2004年法人化で法的縛りは消滅したが長年の人手不足と歪んだ雇用構造を生み出した主因との指摘も。 ↩︎
- 高木満里子先生,帆足 悠美子先生,深井 小久子先生。日本の視能訓練士界を切り拓いたパイオニアとして著名。 ↩︎
- 本来見るべき網膜の中心(中心窩)ではなく、少しずれた場所で物を見てしまう状態の弱視。最も感度の良い中心部を使わないため視力が向上しにくく、治療も特に急がれる ↩︎
YouTubeで辰巳先生メッセージ公開中
-
北九州に視能訓練士学科開設を
器械/書籍 ご寄贈のお願い-設立支援委員会より
眼科医療機関の皆様へ【ご寄贈のお願い】 学校法人国際志学園 九州医療スポーツ専門学校 理事長 水嶋章陽 北九州視能訓練学科 設立支援委員長 小児眼科医辰巳貞子 私た… -
北九州に視能訓練士学科開設を


~視能訓練学科に寄せて~小児眼科医辰巳貞子先生寄稿
小児眼科医・辰巳貞子先生の、北九州で視能訓練士学科開設を望む想いを綴った寄稿。子どもの大切な「みる力」を守る専門職・視能訓練士と共に歩んで50年以上。その育成は、弱視の早期発見・治療に欠かせません。地域医療の未来を担う新たな一歩と、子どもたちの健やかな成長を願う温かなメッセージをぜひご覧ください。みるみるプロジェクトは、質の高い小児眼科医療の普及を応援しています。 -
北九州に視能訓練士学科開設を


【大きく前進!】北九州に視能訓練士養成学科設立へ
みるみるプロジェクトは、「北九州市に視能訓練士養成校設立を!」活動を辰巳貞子先生と共に行っています。 2027年春開講へ 2025年2月、北九州市内に専門学校を保有する… -
北九州に視能訓練士学科開設を


北九州に視能訓練士養成校設立を
〔北九州市に視能訓練士養成校設立を〕小児眼科医 辰巳貞子先生の呼びかけで要望活動が始まりました。 みるみるプロジェクトは辰巳先生とともに各方面への情報発信/陳情…


コメント