2027年4月の学科開設に向け準備が進む
九州医療スポーツ専門学校「視能訓練学科」(設置計画中)。
そもそも、なぜ北九州に?
学科設立を提唱した眼科医・辰巳貞子医師と、開設を決断した九州医療スポーツ専門学校・水嶋理事長が、これまでの経緯や今後の展望について対談しました。

’70年に出逢った1期生たち
水嶋 辰巳先生と視能訓練士との関わりは、もう50年以上になるんですよね。
辰巳 そうなんです。でもね、最初から私がこの職種を知っていたわけではないんですよ。若い頃、アルバイトで行った病院に弱視や斜視の子どもが来ても、どう診たらいいのか、どう治療したらいいのか分からなかったんです。
それが申し訳なくて、「何とか子どもの眼を診られるようになりたい」と思っていました。
それで1970年ごろ、東京の国立小児病院へ小児眼科を勉強に行かせてもらったんです。


水嶋 そこで初めて視能訓練士と出会った。
辰巳 そうです。植村恭夫先生1をはじめ、小児眼科の先生方から弱視や斜視について教えていただきました。
ちょうどその年、国立小児病院に視能訓練学院ができて、翌年から始まる国家試験にチャレンジする第1期生の方たちが学んでいたのです。私はその方たちと一緒に、弱視や斜視の検査、訓練について勉強することができました。それまで私は、視能訓練士という職種が制定されることを、全く知らなかったんですよ。
水嶋 その第1期生に北九州から来ている人がいたと。
辰巳 そうです、なんと小倉から女性が2人来ていて心底驚きました。それも本当に運が良かったと思います。翌年の第1回国家試験にはその2人も合格。それで私は、「北九州に帰って、子どもの眼科診療を始めよう」と。2人にも一緒に北九州へ来てもらったんです。
でも当時は国家資格ができたばかりですから、国公立病院に視能訓練士の正式なポスト(採用枠)がない。
私はいくつかの病院から「来ませんか」と声をかけていただいたんですが、視能訓練士も一緒に採用してください、とお願いしました。
「ORTさんと一緒でなければ行きません」
水嶋 眼科医は採用したい。でも視能訓練士の枠はない。
辰巳 そう。当時は眼科医自体が少なかったですから、私だけなら就職できる。でも、それでは子どもの眼科はできない。
だから「ORTさんと一緒でなければ行きません」と言いました。(編集注:ORT=当時の視能訓練士の呼称。現在COと呼ばれる)
ある公立病院では「国立病院にもない職種のポストはつくれない」と言われました。それで、そこへの就職はやめました。
その後、新小倉病院の木村光雄院長にお話ししたところ、「必要な職種なら雇いましょう」と言ってくださったんです。それで私と視能訓練士さんを一緒に採用していただいて、北九州で子どもの眼科診療を始めることができました。
つまり、私の小児眼科医としてのスタートから、すでに視能訓練士が一緒だったわけです。視能訓練士さんがいなかったら、小児眼科診療はできなかったと思います。
それから50年以上、新小倉病院、国立小倉病院、北九州市立総合療育センターなどで小児眼科を共に立ち上げ、1986年大里眼科クリニック開業。
ずっと視能訓練士と一緒でしたね。弱視や斜視の子どもを診るには、検査も訓練も必要です。医者一人ではできません。だから私にとっては、ごく当たり前に一緒に仕事をする職種だったんです。
いまも、一般にほとんど知られず
水嶋 そこから50年以上経って、学科設立活動。
辰巳 視能訓練士という職種が、あまりにも知られていなかったことに驚きました。署名をお願いしたり、一般の方とお話ししたりすると、「視能訓練士って何ですか?」と言われることが本当に多い。50年以上、視能訓練士さんと一緒に仕事をしてきたのに、「私は50年間、何をしてきたんだろう」と反省しました(笑)。こんなに必要な職種なのに、名前すら知られていない。これは何とかしないといけないと思いました。

水嶋 そして、もう一つ大きかったのが人材不足ですね。
辰巳 以前はうちにも視能訓練士が3人、4人いた時期がありました。でも、だんだん採用が難しくなってきた。養成校が近くにないんですよ。北九州から倉敷までの間には養成校がありません。大分に学校があれば大分周辺、熊本に学校があれば熊本周辺で就職する方が多くなります。なかなか北九州まで来てもらえないんです。だったら北九州で育てられないだろうか。北九州に学校をつくれないだろうか。それが始まりです。
でも、どこの学校に頼めばいいのか。想いやニーズはあっても、学校をつくるとなると全く別の話。ものすごく悩みました。少子化の時代ですから、新しい学科をつくってくださいと言っても、簡単に引き受けてくださる学校があるとは思えない。どこの学校にお願いしたらいいんだろう、と。
そんな時に、人のご縁から水嶋理事長に繋がったんです。
私の父が昔から、「人との付き合いは大事にしなさい。いつ誰にお世話になるか分からないから」とよく言っていました。今回、その言葉を本当に思い出しましたね。
❝そこまで言うなら、やってみよう❞
水嶋 最初は突然でしたよ(笑)。2024年の夏ごろ、とあるパーティで「北九州に視能訓練士の学校をつくりたい」という先生がいらっしゃるとご紹介をいただいて。このパーティでの出逢いも奇跡的な偶然でした。
辰巳 そこからご決断までがかなり早かった。少子化の時代に、新学科設立。学校経営として考えたら、かなり慎重になって当然だと思うのですが。
水嶋 もちろん簡単なことではありません。
でも辰巳先生と話をしていて
一番感じたのは「想い」なんですよ。
私は「憤」という言葉が好きなんです。
「このままでいいのか」「何とかしたい」という気持ちですね。
新しいコトというのは、最初から全部ロジックが完成して、それから動くわけではないと思うんです。
まず行動する人がいる。そこから人が集まって、方法ができてくる。
私は吉田松陰先生などの姿にイメージを重ねています。

もう一つ、本校に掲げて大切にしている文字
「想」と「創」。
まず想いがあって、行動がある。そして何かを創る、これはキズとも読めますね。傷つきながらも前に進む。
今回の最初は、やっぱり辰巳先生です。
先生がここまで必要だと言われるなら、やってみようと。
辰巳先生がいなかったら、私は今回の学科をつくろうとはしていなかったと思います。
今回は「みんなで創っている」

水嶋 もう一つ、今回私が嬉しいのは、学校だけで創っていないことです。辰巳先生がいて、眼科の先生方がいて、視能訓練士の皆さんがいて、みるみるプロジェクトもいる。
支援委員会という形で、みんなで創っている。
私自身、こういう形で学科を創るのは初めてです。
だからこそ、成功させたいと思っています。
ただ、私の言う「成功」は学科開設そのものではない。
学科は、できてからがスタートです。学生が入って、学んで、国家資格を取る。視能訓練士になって、地域で働く。それが毎年続いていく。
そこまで出来て初めて、創った意味があるんです。
辰巳先生 私も北九州の地で育ちました。この街の若者たちにとってやっぱり学校は近くにあった方がいい。親御さんからすれば、子どもを遠くに出さなくても、地元で国家資格を目指せる。北九州にできれば、市内だけでなく下関山口方面からも通ったりできるでしょう。ここで学んだ人が、そのままこの地域で就職してくれる可能性もあります。若い人が学校に来て、資格を取って、地域で働く。そうつながればいいですね。
最初は単純に、「視能訓練士が足りない」「北九州に学校があったらいい」という思考からでした。でも構想を鈴木くんや平良さんとビルドアップしていくうちに、若い人が北九州に国内留学に来ることや、それぞれの地元に戻って働くことにもつながる広域の地域創生なんだとイメージできてきた。
何のために、誰のために
辰巳 水嶋理事長は、知識や技術と同時に「人間学」も大切だと話されています。
水嶋 医療職ですから、知識と技術は絶対に必要です。プロになるわけですから、そこはしっかり勉強しないといけない。
でも、それだけではないと思うんですよ。
何のためにこの仕事をするのか。
誰のために自分の技術を使うのか。
そこも教育だと思っています。今はAIもあって、知識だけならいろいろな方法で手に入る。
だからこそ、人とどう関わるか、自分は何のためにこの仕事をするのかという部分が、ますます大事になると思っています。
辰巳 私はずっと子どもを診てきましたから、やっぱり子どもとうまく関われる人になってほしいですね。

子どもの検査って難しいんですよ。来ただけで泣いてしまう子もいるし、「これを見て」と言ったってその通りにはしてくれない。
だから、まず仲良くならないといけない。安心してもらわないといけない。私の診察室なんて、アンパンマンとか、いろいろぶら下がっていますよ(笑)。帰りたがらない子もいます。
水嶋 それは大事ですよね。同じ検査をするにしても、
相手がどう感じるかまで考える。
辰巳 そうです。でも、優しいだけでもダメ。家で訓練してもらわなければいけないのに、やっていなかったら、お父さんやお母さんにも言います。ちゃんとやってください!と。自分の子どもや孫を見るような気持ちで診ていますから。良くなってほしいから叱ることも多々ありますよ。
子どもたちと本気で向き合って嬉しいことはたくさんあります。
小さい頃に診ていた子が大人になって、結婚して、自分の子どもを連れてくる。昔、その子を連れてきていたお母さんが、今度はおばあちゃんになって一緒に来たりするんです。「先生のおかげで、こうやって大きくなりました」と言ってくださることもあります。この前なんか、「先生、僕ももうすぐ定年ですよ」って(笑)。もう59歳ぐらいになっているんです。小さい頃に診ていた子ですよ。
水嶋 それはすごいですね。
辰巳 子どもが成長していくところを長く見られる。それは本当に楽しいですよ。
医療×スポーツ
辰巳 九州医療スポーツ専門学校には「スポーツ」という特色がありますね。
水嶋 若い人が興味を持つ入口は、「医療」だけとは限らないんですよ。スポーツが好きで、そこから医療に興味を持つ人もたくさんいる。
だったら視能訓練士とスポーツをつなげたっていい。例えばスポーツ選手の眼を、視力だけではなく専門職がきちんと検査する。ベストコンディションを視覚についても整えてあげる。他の専門職(理学療法士やスポーツトレーナー等)との連携も大いにやれる。そう広げていくと、可能性はとても広い職種だと思います。


辰巳 地域の保育園へ出ていったり、働いている人たちの眼の健康に関わったり。もっと外に出ていく視能訓練士がいてもいいですよね。
水嶋 そこは、この学校だからできることをアグレッシブに考えていきたいですね。常に社会や地域との繋がりを無限の可能性に繋げていきたい。
これから視能訓練士を目指す人へ

水嶋 この学科は、視能訓練士の国家資格を取るだけの場所にはしたくないと思っています。なぜ視能訓練士が必要なのか。
辰巳先生が50年以上この仕事をして、それでもなお「視能訓練士が必要だ」と言っている。
そこには理由があるわけです。資格と技術を身につけることはもちろんですが、この仕事をする意味まで学べる学科にしたいと思っています。
- 植村恭夫(うえむら・やすお)先生
日本の小児眼科学の確立に大きく貢献した眼科医。国立小児病院(現・国立成育医療研究センター)の初代眼科医長、慶應義塾大学医学部眼科学教室教授を歴任、弱視・斜視など小児眼科の研究・診療を牽引した。1971年の視能訓練士法制定や、国立小児病院附属視能訓練学院の設立にも中心的に関わり、日本の視能訓練士制度の発展に尽力した。 ↩︎















コメント