MENU

だいひょーの【一筆航路】

 みるみるプロジェクト代表理事の鈴木です。おかげ様でこのみるみるネットも毎日多くの方々が訪れて頂けるようになりました。保護者様/眼科従事者様/メガネ専門店様/各方面からご来訪の皆様ありがとうございます。

みるみるネットでは視能訓練士/保護者様などに寄稿いただいています。

プロジェクト主催を代表するひとりとして、ふと、わたしもエッセイ?のような不定期連載を始めるように思い立ちました。

とりとめもない内容なのは確定です。お忙しい方は読まないでください(笑)

そのうち何か、このプロジェクトに至る想い/これからやりたいことなどお汲み取り頂ければ幸いです。


2021年1月より、【みるみるSHOP】の展開を本格スタートしました。斜視弱視治療に必要なメガネ。子どもの未来のための治療に必要なこの治療用こどもめがねを担うのはメガネ専門店さんです。

本日は、丁寧親切商売のメガネ専門店へのリスペクトに繋がる?わたし個人の幼少期(3〜6歳頃)体験記憶です。


商店というノスタルジー

 わたしが生まれ育った昭和50年代は、古い昭和の街並みがどこでもある最後の時代だったのかもしれません。子どもは3~4歳ぐらいになればどこにでも町じゅう、自分ひとりで出歩きました。(いまは治安問題もありさせたくないですよね)

 わたしにとって生まれ育った街とは、個人商店が点在する風景がインプットされています。商店街は無かったのですがあらゆる商店が住宅街に点在していました。

駄菓子屋のおばちゃん、ガンプラ知らない

 駄菓子屋さんは幼児が歩ける範囲内に3件、いずれもおばちゃん(失礼!)が一人でやっていた。当時ガンダムのプラモデル全盛、駄菓子屋の隅に必ず10箱程度積んである。すぐ売れてすぐ入荷。おばちゃん店主はガンプラ売っているのに全く知識なし。「おばちゃん、ガンプラある?」と聞くとズイっと出された箱は宇宙戦艦ヤマトの名もなき悪役艦だったり。4歳でも自分の眼で見て箱の山から掻き分け掻き分け探し出すわけです(笑)

 あれこれお小遣いで買っていると、『今日はもうやめときな。そんなお金使ったらダメよ。今日はもうおしまい』とおばちゃん店主に帰らされます。当時疑問にも思いませんでしたがこれ、おばちゃんの子ども教育?だったのかもしれませんね。

現在このお店は跡形もなくありません。

肉屋おっちゃん、あっち向いてホイ

 父が車で仕事から帰ってくる駐車場まで歩いて10分くらい。わたしはほぼ毎日、夕暮れになると駐車場まで迎えに行きました。父から会社を出るとき電話がある。(家の黒電話!)

 目安の時間になったら迎えに行くのですが途中に肉屋さんがありました。この肉屋のおっちゃん、なぜか店の前を通ると必ず陳列ケース越しに呼び止め「じゃんけんしよう」(しかもあっち向いてホイ付き)とやるのです。これまた疑問にも思わずじゃんけんするわけですが、幼児にとってあっち向いてホイ!は結構難しい。年間200敗くらい。

 それでもこのおっちゃん(失礼!)なんだかとても人懐っこくて悔しくもなく楽しかった。父以外の大人の男性で最もおしゃべりしたのはこのおっちゃんだったかも。あの時代、肉を肉屋さんで買うのが当たり前。母と買いに行った時も、母とより幼児のわたしとおしゃべりする事が多いおっちゃんだった気がします。

残念ですがこのお店も既に跡形もなくありません。

八百屋さんの妙技、まじまじ

 野菜を買うときは、八百屋さんに行く母に付いていきました。

 この八百屋のおじさん、極度に寡黙な人でした。たぶん肉声は金額言うときしか聞いたことないです(笑)それでも行くのが楽しみでした。

 野菜をビニール袋に入れるときの技!あの、わかります?ビニール袋に手を突っ込み、そのままビニール越しに野菜を掴み、さっとビニールをひっくり返したらいつの間にか袋の中に野菜がある!あの、わかります?(動画撮って再現しようかと思いましたがそこまでしません笑)

 この技、幼児の小さな脳ではマジック・神技。寡黙なおじさんの手元に視線はいつもくぎ付け。母の買い物が終わっても見続け「ほら!帰るよ!」と急かされるのが常でした。大人の技って凄い!といつも思っていました。


商店のおとなと接していた

 わたしの幼少期に寂しさとか辛い体験というものがあまりありません。どんな記憶があるかな?と回想したとき、父母の記憶の次はなぜか、こうした町の商店のおとなたちとの「関わり体験」が想い出されるのが不思議です。いまとなると、様々な事をおとなたちから感じ取っていたのだろうと思います。

 駄菓子屋のおばちゃんは子どもたちを堂々と叱れる“町のお母さん”だったのかもしれません。肉屋のおっちゃんは毎日毎日同じ町の人たちと飽きずに付き合っていく“商い”(語源には諸説あり)の姿を感じました。八百屋のおじさんは、プロフェッショナルの手さばきのカッコよさを感じていました。

 いずれも自分の店の商売をしているのだけれども、町の日常に完全に溶け込んでいて、同じ人々とずっと一緒にいるような存在。生活に必要な物を売っているのだけれど、身近な家族に準じるような存在がわたしのなかに記憶されています。

昭和が良かった、とは言わない

 私の年齢以上の人の多くは、それぞれの昭和の風景にノスタルジーを感じるわけです。しかしもちろん、全てが『昭和が良かった』とは思いません。暴力/交通マナー/治安/差別などなど今よりよほど昭和の方が酷い事はたくさんありました。わたしは第二次ベビーブームの世代ですから、だいたいが子どもに人権なんかない(笑)いかに昭和の時代がめちゃくちゃだったかもまた別の機会にお話ししたいと思っています。。。

ただ…通販やいまこうして発信しているブログなど全てが通信化・デジタル化している中で、おとなたちの親切とか日常の関わりの中から色々なものを感じてきた幼少期のアナログ体験、いまの子どもたちに少しでもあったらいいな…という思いがあります。

それがのちに、メガネ専門店さんへのリスペクト・みるみるSHOP構想に繋がっていくのですが…それはまた別の機会に!

忙しい方が読んではいけない連載エッセイ【だいひょーの一筆航路】今後も不定期で掲載します。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (1件)

  • […] 以前のエッセイでも書きましたが私の鮮烈な幼少期の記憶は3~6歳頃に集中しています。この時期祖父から毎週、原稿用紙3枚に手書きした童話が孫の私あてに送られてきて、毎日読んでいました。もちろん手書きですから挿絵はありません。それどころか、容赦なく漢字がバリバリ使われています。フリガナも書いてくれていましたが、同じ文字のフリガナは最初だけ。2回目以降はその漢字自体を覚えておかねばなりません。 […]

コメントする

目次