みるみるプロジェクト代表理事の鈴木です。エッセイ2回目、とりとめもない内容確定。お忙しい方は読まないでください(笑)
そのうち何か、このプロジェクトに至る想い/これからやりたいことなどお汲み取り頂ければ幸いです。
国際子どもの本の日に想うこと
祖父からもらった“読みもの”
わたしは3歳~小学校就学まで、祖父からもらっていたものがあります。それは原稿用紙3枚に祖父が自ら書いた、漢字まじりの童話でした。
祖父(母方の父。故人)は戦前に三井物産や満州鉄道で勤務、戦後東京葛飾区で洋品店を営んでいました。母もこの洋品店で生まれ育ちました。
祖父は気品のある雰囲気をもち、昭和天皇のような丸い眼鏡をかけた物静かな人でした。何より好きなのが「読む事」「書く事」「学ぶ事」でした。70歳を超えて英語の勉強を始めていた時は仰天したものです。生前、祖母は「おじいちゃんはワープロで何か文章を打ってる日は機嫌がいい」と述懐していました。
以前のエッセイでも書きましたが私の鮮烈な幼少期の記憶は3~6歳頃に集中しています。この時期祖父から毎週、原稿用紙3枚に手書きした童話が孫の私あてに送られてきて、毎日読んでいました。もちろん手書きですから挿絵はありません。それどころか、容赦なく漢字がバリバリ使われています。フリガナも書いてくれていましたが、同じ文字のフリガナは最初だけ。2回目以降はその漢字自体を覚えておかねばなりません。
最も覚えているのは「オオカミ少年」の物語。「狼」「嘘」など容赦なく漢字が使われていてずいぶんと手ごわい読み物でした。たぶん4歳頃。
これは祖父の何かの意図だったのでしょう。残念ですがその辺りは聞けぬまま私が中学生の頃亡くなりました。
漢字で苦労しなかった
のちに気が付いたのですが、小学校に入ってから5年生頃まで、ほとんど教科書や読む本の漢字は就学前に知っていました。教科書や本を読むにあたり、苦労や苦手意識を持ったことがなくて、授業を受けるときも何か心の余裕があったように思います。おそらく、祖父の手書きの童話を通じて知った漢字への親しみが良かったのでしょうね。
4月2日は国際子どもの本の日
1966年、IBBYの創設者であるイェラ・レップマン(Jella Lepman)は、世界中が、子どもの本を通しての国際理解を深めるために、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの誕生日である4月2日を「国際子どもの本の日」と定め、毎年、各国でお祝いをしたり、特別な催事をおこなったりして、子どもの本に対する一般の関心を呼び起こそうという提案をし、翌1967年にこの記念日が制定されました。(文:日本国際児童図書評議会HPより)
私にとって幼少期の“本”とは、祖父の手書き童話でした。皆さんにとって、何か想い出の本とはどんなものでしたか?
子どもたちに豊かな本の機会を
私が辰巳貞子先生、平良美津子先生などの弱視治療現場に感動した点の一つは、「眼を治療するだけじゃない」ことです。硬筆帳訓練・レッドペンシルトレーシング…文字の読み書きに親しむ訓練を通じて、豊かな発達を促す…常に文字を通じた学びを意識しているんですよね。
弱視治療とは、“治す”という医療を超えた“育てること”ではないか、というような印象を受けたからなんです。※私の勝手な解釈ですが
弱視治療に取り組む保護者様、豊かな感性を持つこのかけがえのない時期に、文字や本を通じて豊かな成長を歩まれますように。
いま読んだその一文字が、その子の豊かな未来の一歩となりますように。
心から、応援しております。
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